リオ・デ・ジャネイロ


 

基本データ

面積 1.182 Km2
人口 5.857.904 (1996)
市外番号 021
時間帯 GMT - 三時間
電圧ボルト 110 V

 

平均気温

1月 4月 6月 9月
ºC ºC ºC ºC
最高 40 27,5 24 25,4
平均 32,2 23,2 20,3 22,4
最低 24,4 21,3 17,7 20

リオデジャネイロは、その美しさゆうえに世界的有名な街。

コルコバードの丘の上からキリスト像は、まるでリオデジャネイロの海岸、森、山とその人々全てを暖かく包んで見守っているように、その大きな
両腕をいつまでも開いている。

カーニバルの時期にまだならずともその街並みから聞こえてくる人々の手がパンデイロをたたく音、カリオカ達が歩きながら放つリズム感、その踊っているような喋り方からは, あれもコレもが美しくかつ楽しく感じる街リオデジャネイロには、さらに豊かな伝統と文化のもう一つの「素顔」をその古い美術館、大学, 図書館、劇場に隠し持っている。

 
キリスト像  リオデジャネイロ 写真 - アンゲラ グゼイ

植物園  -  写真  アンゲラ グゼイ

そんな街だからこそ、リオデジャネイロは、いつまでも人々の心で、ブラジルの一番有名なポストカードでいい続けられるのです。そのイメージは、ポン.デ.アスカール、サッカー、サンバ、日焼けしている肌を持つ陽気な人々に深く関連している。

実はこのリオ市は同名のリオデジャネイロ州の州都でもあります。そしてリオ州もまた、美しさと大自然の豊かさという点では、けしてその州都に負けない。



1716年から1960年にかけてのリオデジャネイロは、ポルトガル植民地の首都、ブラジル帝国の首都、そして連邦共和国になってもブラジル政府と経済の中心に立ちつづけてきた。


今でこそリオは, ブラジリアにその首都の座を譲ったのだけれど、Cidade Maravilhosa(素晴らしき街)としての魅力は、以前としてまったく変わってない。今でもリオは、観光地としてブラジルに来るたくさんの外国の方々の表入り口とされています。


その魅力がおちるところか、元ブラジル首都のリオとリオデジャネイロ州が一つになったことから、経済力をさらに高めたリオデジャネイロが生まれ,現在では、この国最大の石油生産地区にまで発展した。石油といえば, リオデジャネイロ州のカンポス流域は、1974年のその石油発見から今に至って国内石油生産の約70%を占めています(一日約33万バレール)。

昔のリオデジャネイロはコーヒーの生産にその経済の重点を置いていた。 
いまとなっては、その古いコーヒー牧場あとは、ブラジルの歴史の大事な一部を語る遺産になっている。ブラジルのコーヒー時代に少しでも触れたい観光客の方には是非一度は行かせてやりたい場所の一つです。

20世紀に入ったリオデジャネイロはその農業生産率に大きな低下を受けた。
1970年代から始まった国内の農業開発運動は,リオの奥地までには届かなかったためである。現在リオ経済にもっとも重要とされているのは、カンポス・ドス・ゴイタカゼスで耕作されている砂糖きびなのです。


産業構造(99年)を見ると、第1次産業約1%、第2次産業30.2%、第3次産業70.8%となっており、第1次産業の割合が極端に低く、第3次産業の割合が非常に高いのが特徴である。



90年代に入り、第2次産業が6%程度増加し、第3次産業が6%程度下落したものの、第1次産業の比率は一貫して1%前後であり、リオ州は依然として消費州の性格が強い。


なお、リオ州の鉱工業生産のうち約50%は石油化学と化学分野が占めており、石油関係産業は州の重要な産業となっている。


1763年にサルバドールから遷都して以来、ヨーロッパ芸術が流入し、リオ・デ・ジャネイロは大きな変化を遂げた。多くのフランスの芸術家によって、パリのオペラ座やルーブル美術館を真似て市立劇場や国立美術館が作られ、旧市街のしっくりとおちついた独特の雰囲気はこの頃育まれた。 

有名なリオのカーニバルは、1935年に最初の公式パレードが行われた記録がある。その後、州政府の強力なバックアップを受け世界の3大祭りのひとつに数えられ、世界中から観光客が訪れるようになった。

現在は膨大な資金が使われ、あでやかで豪華なパレードは見るものを魅了する。

リオの魂そのものを感じさせる大祭りなので、観光者の方々には絶対体験すべきです。